【286回】3月11日

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今日は3月11日。

東日本大震災から9年が経ちました。

当時仙台で被災した私としてはもう9年かぁというのが、率直な感想。

その当時の思いはこちらのブログでも綴っていますが、もう一度メモの代わりにこちらにも。

9年前の今日の14時46分、私は仙台駅に居ました。

東京から上司を迎える為でした。

上司が来た表向きの理由は会議を開催する事でしたが、本来の目的は私の休職願いを出す事にありました。

仙台駅に上司を迎えに行った時には私はスーツの内ポケットに休職願を忍ばせていました。

事務所に戻り、会議をやる前に当時の上司に必ず渡そうと決めていました。

まず私が休職願いを出すきっかけとなったのが、部門の成績不振による悩みでした。。

当時創業社長が亡くなり、会社の方針が大きく変わり部門ごとの採算性が重視され始めた事により、私が管理していた部門はその成績の悪さが一気に可視化され、窮地に立ちました。

当時転勤してまだ1年程しか携わっていない私でしたが、一気に経営陣に追い込まれる形となりました。

今でも当時の全国でのTV会議での上司の叱責が昨日の事の様に頭から離れられません。

当時の部下だった人を1名リストラする事にもなりました。

私より少し年上でしたが、当時家も買ったばかり、小さい子供も2人いました。

役員からの指示は正確にはリストラというか、東京への転勤を勧めろというモノでした。

当時まだ青二才だった私にはピンと来なかったですが、今思えば、体のいい退職勧奨だったと思います。

当然彼は転勤を拒否して、退職していきました。

あの時は送別会も断れ、とても後味の悪いものとなりました。

そういったリストラや上司からの叱責、部門の不振が重なり私自身不眠となり、思うように体が動かなくなってきました。

その中で色々な人にアドバイスを貰ってたどり着いた答えが「休職」でした。

そして、3月11日の午後。

上司を仙台駅に迎えに行き、合流し車に乗り込もうとした時に震度6強の揺れが。。

そして、断続的に強震が続き、結局その夜は寝れずじまい、さらには雪まで降ってくる始末。

仙台港の方を見ると真夜中なのに真っ赤に染まっていてこの世のものとは思えない光景でした。

そこから3日後には新潟経由で車で脱出し、名古屋で2週間ほど英気を養って再度仙台に戻りました。

結局、休職願いは出せすじまいで終わりました。

そこからは復旧復興で逆に忙しくなり、それどころでは無くなった為です。

ただ逆に今度は過労の為にまたメンタルが壊れていきました。

そのメンタルの故障が今の状況を招いたのですが、今日の所はここまで。。

9年たった今でもあの時1日でも、いや半日でも地震が起きるのが遅かったなら、今の自分は変わっていたのにとずっと思っています。。

それは今後も毎年この日を迎える度に思っていく事だと思います。

あれから会社も辞め、家族とも別居してしまい私が取り巻く生活環境は大きく変わってしまいました。

本当に人生どうなるか分かりません。

9年間。

被災してから振り返ると、

結婚、出産、退職、保護入院、自殺未遂、引越し、別居、自殺未遂、再就職。。

と人生のイベントが凝縮され起こりました

トータルするとマイナスの9年間でした。

しかし生きているだけ、プラスかもしれません。

まさか被災した当時自分がこんな波乱万丈な人生を送るとは思ってもみなかった。

あの当時はあの当時でこれからどうなっていくのだろうという漠然とした不安はありましたが、ここまで落ちるとは。。

人生何が起きるか全く予想つきません。

これからも同様だと思います。

ただ今予想つくのは、今以上に落ちる事だけ。

悲しいかな、これだけははっきりと言える。

まずは被災し亡くなられた方に黙とうを捧げます。

合掌

 

 

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